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「普通」のレールを歩めない!

自身の体験や経験などを淡々と綴る、あせんとのブログです。

アクセサリー制作

皆様おはようございます。あせんとです。

今日は僕の趣味であるアクセサリー作りを紹介したいと思います。何よりもまず作品、ですよね。

ほいっと。

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これは僕が学生の頃に制作したリングなのですが、植物の有機的なモチーフをイメージしています。フリーサイズリングで、指にはめた時に植物が両側から指を覆うようにでデザインしてあります。アール・ヌーヴォーの影響を受けて作ったものですね。今となってはアール・デコ幾何学的なデザインに魅了されている僕なのですが、当時は有機的なモチーフが好きだったんですね。懐かしいなぁ(´・Д・)

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上の画像が最近制作した僕の作品なのですが、全然雰囲気が違いますね。別の人が作ったんじゃないのかと言われても返す言葉がありませんw

現代ではもう、アクセサリーすらパソコンで作れる時代になっていて、ジュエリー業界ではRhinocerosというソフトを使って、日々アクセサリーが制作されています。

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↑はi Rhino 3Dというアプリでスクショした画像で、このアプリではパソコンで作ったアクセサリー・ジュエリーをスマホに移してレンダリングで見ることができます。先ほど紹介したペンダントも、このソフトを使って制作しています。いやぁ、もう何でもパソコン、スマホの時代ですね。テクノロジー様様です。

ところで、アクセサリーとジュエリーの違いってなんなんでしょうね。アクセサリーでも宝石を使ってるものはありますし、ジュエリーでも貴金属、宝石を使ってないものはあります。アクセサリーの訳語としては"装身具"もしくは"付属品"なのですが、ジュエリーの訳語は"宝飾品"です。領域横断的に広い意味で「身に付け飾るもの」といったことなのでしょうかね。訳語とその物のイメージが必ずしも一致しないことはままあるので、考察する意味もないのかもしれませんがw

えみつんとラブライブ!

先日のえみゅーじっく♪まじっく☆こと、つんらじ第103回で新田恵海さんがラブライブについて、その熱い想いを語っておられました。詳しくはつんらじに譲るとして、いやぁ、えみつんは本当にラブライブ!が大好きなんだなぁと伝わってくる内容でした。えみつん、いいラジオをありがとう!

ところで、ラブライブ!というプロジェクトが表面上終わりを迎えて半年ほど経つわけですが、えみつん同様、僕も未だラブライブ!への熱が止むことを知りません。ホント、今までの人生でこんなに熱中するコンテンツがあっただろうかっていうくらい、ラブライブ!は僕の中でコンテンツとしてトップオブトップの存在なんですよね。なぜこんなにハマったのか?と考察するのがナンセンスだと思えるくらい、ラブライブ!が好きなんです。人間、本当に好きなものに出会うと、その理由が説明できないというか、言語を超越して好きになってしまうものなんだなぁと思いました。

そんなラブライブ!、μ'sの集大成となるライブ、Final LoveLive μ'sic Forever♪♪♪♪♪♪♪♪♪のライブ映像を収録したBD・DVDが9/28に発売になったわけですが、当然僕も発売日当日に買いました。......と言いたいところなのですが、なにやらゲーマーズ様が早とちりしたのか、発売日前日にBDが届いたのです!ですので、期せずしてフラゲを初体験したわけなんですね。ハッピー!ヽ(´▽`)/

その映像を早速サイリウム片手に視聴してみたわけですが......。いやもう、冒頭から泣きましたよね。僕は運良くファイナルライブに現地で参加できたわけなんですが、その時の感動が再び映像で体感できる喜び。このコンテンツに関わってて本当に良かったなぁと思えた素晴らしい時間でした。できるならもう一度生であの感動を味わいたい......と願うラブライバーは数多いと思いますが、でもやっぱり、本当に"最後"のライブだったからこそ、あれほどの感動体験ができたのでしょうね。もう2度と体験できることのないライブを現地で参加できたこと、本当に嬉しく思います。......とか書いてる間に当時のことを思い出して涙がだばぁ。・゜・(ノД`)・゜・。あぁ、このまま書いてると僕の体内から水分が枯渇しそうなので今日はこの辺で失礼させていただくとします。

最後に。μ's本当にありがとう!これからもずっとよろしくね!

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統合失調症

皆様おはようございます。あせんとです。前回までは精神医学でいうところの「パーソナリティ障害」についての記事をご紹介してきました。今回もまた精神医学から、「統合失調症」について記事にしていきたいと思っております。

統合失調症の大部分は14歳から35歳までに発病するとされていて、40歳以降のものは”遅発性統合失調症”と呼ばれ、逆に幼少期に発病した場合は”児童性統合失調症”として区別されます。ただし、どちらも中核群としての発病率は低いとされています。統合失調症の出現率はあらゆる時代、国、民族で1%程度とされていて、有病率は0.3%程とされています。この病気は慢性の経過を辿るために、精神病の中核をなす概念であると言われています。

病因としては、今日では「脆弱性―ストレスモデル」が支持されていて、環境的因子、生物学的因子の相互作用によって脆弱性が形成され、そこに心理的な負荷(心因)がかかることで発病すると考えられています。

次に症状ですが、広範に渡る思考障害(例えば、”連合弛緩”と呼ばれる、思考の纏まりの欠落や妄想など)、能動性、自発性の低下といった行動障害、それに伴う自閉性、誰かに行動を操られているといった感覚を呈する”作為体験”や、自分の考えが他人に奪われている感じがする、といった”思考奪取”などの自我障害、感情表出そのものが鈍くなる感情鈍麻といった感情障害を特徴としており、広く社会生活や対人関係に不適応を示します。先ほど取り上げた妄想と深く関連した幻覚が高頻度で出現し、その大部分は幻聴であるとされています。1人でから笑いをする”空笑”や、ブツブツと独り言を呟く”独語”も特徴的であり、前回取り上げたスキゾタイパルパーソナリティ障害は、この病気と神経症の中間に位置するものとして考えられています。診断上では、”プレコックス感(意思疎通ができている感じ)”の欠如も診断の決め手となる場合も少なくないようです。

この病気を患っていらっしゃる方には、ヘビースモーカーが多いとされているのも特徴的です。高濃度のニコチンを摂取することで、海馬の錐体細胞の興奮を静めてくれる効果があるからです。思考の纏まりが良くなったり、幻聴が減ることさえあるとされています。つまり、統合失調症の方は、自己治癒のために高濃度のニコチンを摂取しようとするのですね。

僕の周りにいる方でも、町周辺を同じ周期で徘徊していたり、喫煙所で煙草を吸っている姿をよく見かけます。周辺住民からは煙たがられているようですが、僕は自分の勉強する過程でこの統合失調症についても学んだので、微力ながら、この病気を持つ方について理解に努めているつもりです。皆さんの周りにも、「もしかしたら......」と思い当たる方がいらっしゃるかもしれません。その時は、こういう病気もあるんだということで、できることなら、温かい目で接してさしあげてください。多くの病気は、本人の意思とは関係なく生じるものなのですから。

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パーソナリティ障害⑥

皆様おはようございます。パーソナリティ障害についての話題です。今回で最後となるので、よろしければお付き合い下さい。

統合失調症という病気について、見聞きしたことある方はいらっしゃるかもしれません。この病気の因子を少なからず受け継いで発症するとされているのが、「スキゾタイパルパーソナリティ障害」です。

この障害に特徴的なのは、”観念奔走”と呼ばれる、思考がとめどなく溢れて出てくる思考障害、思考(観念連合)の統一性、一貫性が著しくかけているために、突然独り言を呟いたり(独語)、一般的な方には理解できそうもない奇妙な風貌、奇妙な言動を取る、といったものです。中核的な観念として、彼ら・彼女らの中には過剰思考現実生活への無関心があります。対人接触をあまり好まず、自閉的な生活を好み、また感情表出にも独特の奇妙さがあり、社会生活に困るタイプではないけれども、言葉は悪いですが、”変わり者”として周囲に映りがちなところはシゾイドパーソナリティ障害と似ています。別の記事で述べていますが、統合失調症と同様、遺伝的要素が強いとされています。

ゾイドドパーソナリティ障害は、何もなしに他者に攻撃性を向けることはなく、比較的安全あることは前回も述べた通りで、スキゾタイパルパーソナリティ障害もこれに当てはまります。どちらも他者の社会生活に迷惑をかけるようなことはしない、というところで共通しているのですね。

この2つのパーソナリティ障害に「妄想性パーソナリティ障害」を加えて、まとめて3つをOdd(奇妙な)タイプとして分類され、その特徴は風変わりな容姿、言動、自閉的で周囲から”変わり者”として認知されやすいところにあります。

妄想性パーソナリティ障害について軽く説明すると、彼らの心の根底には人は信頼できない存在だという”猜疑心”を抱えています。「自分は誰かに貶められようとしている」「世界が私を罠にはめようとしている」といった”関係妄想”と呼ばれる類の妄想が特徴的で、この根底にある猜疑心が基となり、こうした精神症状を呈したり、他者に対して盲目的な否認や攻撃性が転換されたりします。

さて、ここまでパーソナリティ障害について記事を書いてきましたが、いかがだったでしょうか。僕が学んだ限りでよければ、精神医学以外にも心理学や社会学、宗教学等々についても記事を載せていこうかと考えていますので、ご興味のある方はぜひご一読ください。

それでは、今日はこの辺で。

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パーソナリティ障害⑤

今回もまたパーソナリティー障害についての話題です。お目汚し失礼!

前回取り上げた「強迫性パーソナリティ障害」ですが、この障害は「Anxious(不安)タイプ」に分類されるパーソナリティ障害なんですね。このタイプの特徴としては、不安意識が強く、行動や思考が他者本位的になりやすく、自分の本心をないがしろにしやすい傾向にあります。また、他のパーソナリティ障害の群よりも比較的安定した社会生活が送れるため、神経症的な色の強いタイプであると言うことができるでしょう。

このタイプには強迫性パーソナリティ障害以外に2種の分類がされていて、まず1つ目に「回避性パーソナリティ障害」。このパーソナリティを持つ方の多くは、自己に対する信頼性の欠如や劣等感が強く、自尊心の低下を”回避”するために対人接触と伴う社会的、職業的活動を遠ざける傾向にあります。交友関係においても、自身が傷つくことを恐れて、限られた範囲内での活動を行う傾向にあるというのが、このパーソナリティの特徴です。みんなでワイワイ騒ぐパーティーのような場所に赴くよりも、自室で本を読んだりすることの方が充実感を得られたり、自分自身がその活動を楽しめたりします。このパーソナリティもシゾイドスキゾイド)パーソナリティ同様、他者に危害を加えたりするようなことはしませんので、比較的安全なパーソナリティ障害であると言えましょう。

そして2つ目に「依存性パーソナリティ障害」。その名の如く、人との関係形成が自己を度外視した”依存”が中心に置かれ、拒否されることを恐れる一方で、責任を担うことを回避する傾向があり、時にそうした責任を他者に転嫁する場合も少なくありません。このパーソナリティもまた、根底に隠れているのは回避性パーソナリティ同様、低い自己評価、自尊心です。そのため、自己の欲求の充足も含めて他者の助言や指示に従おうとする傾向が強いとされています。つまるところ、自分に自信がないから責任を背負うことができなくなってしまっているのですね。こうした方は他者の存在なしには自己決定をすること自体、とても難しいもののように感じてしまうようです。

Anxiousタイプのパーソナリティ障害、いかがだったでしょうか。決して彼ら・彼女らは意図的に人に迷惑をかけようということなどは考えていません。心の奥底にある「これが自分なんだ、自分はこれでいいんだ」という自我同一性が揺らいでいるからこそ、こうした精神症状を露呈してしまっているというだけのことなのです。もしこうした特徴を持つ方と関わり合いを持つことになっても、どうかその方たちを非難するようなことはしないでさしあげてください。僕たちは互いに理解ができない存在だからこそ、互いを理解しようと努力することができるのですから。

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パーソナリティ障害④

皆様こんにちは。あせんとです。今回もまた、引き続きパーソナリティ障害について書き綴っていきたいと思います。

今回取り上げるのは「境界性パーソナリティ障害」です。”ボーダー”と呼ばれる方たちですね。この障害を持つ方は、統計的に言えば圧倒的に女性に多い障害であるとされています。その特徴は、感情が不安定になりやすく、些細だと思えるような問題でも感情の爆発により、興奮、攻撃性の転換がなされたかと思いきや、抑うつ状態による不安・孤独感・退屈感・悲しみといった情動体験に陥ることも少なくありません。広範的な感情障害ということですね。 また感情だけでなく、自我同一性、自我意識、自身の行動、周囲の人間関係など、広範囲に渡って不安定さが見られます。その心の内には、慢性的な空虚感を抱えている場合があります。

もっとも特筆すべき特徴を3点挙げるとするならば、他者への過剰な期待情緒不安定、極端な両極思考が挙げられます。まず初めに、彼女たちの心の根底には「相手は自分のために行動してくれるはずである」という全能的な相手への過剰な要求と、それに守られる自分、という自己像を期待しており、それが現実的にかなわなかった場合に、好意→嫌悪といった感情的な不安定さによる01思考、極端な思考へと転ずるのです。こうした特徴から、リストカットオーバードーズのような自己破壊行動や、一過性の妄想、解離症状(自分が自分でないといった感覚)などの様々な精神症状を呈することも少なくありません。

また、こうした方々は性的なパートナーに心理的に依存しがちな傾向があり、私生活や学校、会社での生活でも種々の問題が表出してくることも珍しくありません。相手の気を引くために虚言を用いることもありますが、しかしそれは心の奥底に”見捨てられ不安”を抱えているからで、これは幼少期の家庭環境が強く作用しています(例えば、親のネグレクトやアビューズといったように)。もしこうした人々が自身の近しい人たちとかさなるようであれば、注意していただきたいのは、決して心理的、物理的に寄り添ってはいけないということです。それは彼女たちの依存心を助長させるに等しい行為であるからです。重要なのは、近い距離で寄り添うでもなく、かといって極端に距離を置くでもなく、適度な距離感をもって、中立的に相手と接することなのです。 また、境界性パーソナリティ障害を持つ方は、同じくDramatic(劇場)タイプに分類されている「演技性パーソナリティ障害」を併発することも少なくないようです。この病状を示す人たちの基本原理はS・フロイトの言う「エディプス・コンプレックス」にあり、その克服が未だ達成されていないため、異性関係に問題が生じやすく、そのことと関連して自身も性喚起をおこすような言動、服装を取りがちです。この病気を呈するのはほとんどが女性で、彼女たちは周囲の注目を浴びることを希求しており、感情表現が大げさでいかにも演技的であり、加えて”空想性虚言癖”と呼ばれる空想的な虚言が、その目的の達成に利用されることもしばしばあるようです。

僕の知り合いでも何人かこのパーソナリティ傾向を持つ方はいらっしゃいましたが、どの方も一様に恋愛関係や男女の性的な関係に問題を抱えていました。それは心に抱えた”寂しさ”ゆえの行動であったように思われます。彼女たちの根底にある、先ほど述べた”見捨てられ不安”を解消させることは容易ではありません。それは長年の冷え切った親子関係だったり、家庭内での性的虐待であったりと、一朝一夕には寛解することの難しいものであるからです。故に、もしこうした方たちと付き合っていくのであれば、長期的な視点をもって、長い目で見守ることが重要になってくるのだと思います。

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パーソナリティ障害③

引き続き、パーソナリティ障害についての話題です。

今回取り上げるのは「自己愛性パーソナリティ障害」です。このパーソナリティ障害は特にアメリカで物議を醸しているパーソナリティ障害で、欧米化が進む日本でもこの場外が若い世代を中心に徐々に増えつつあると懸念視されているものです。

彼ら・彼女らの多くに、人情ある温かい人間関係の形成は望めません。彼らにとって他者は目的達成のための道具であり、”物”でしかありません。非常に冷酷で、良心に基づく言動はあまり見られません。彼ら・彼女らの心の中枢には肥大化した誇大的な自己があり、自らの優越性を誇示するための活動には精力的に取り組みます。時には、そうした活動は社会的認知度の高いものや、関心を引くものであったりします。しかし、この様な人たちは比較的承認欲求が高い傾向にあり、承認が得られない場合には”自己愛的憤り”と呼ばれる攻撃性を他者に向けます。自己主張が金科玉条とされるアメリカにこの障害が多いとされているのも無理からぬことかもしれません。

彼らは自分のことが大好きで、それを否定的に取られるやいなや、あらゆる手段をもってその攻撃性を他者にぶつけます。反社会性パーソナリティ障害と類似する部分がありますが、ソシオパシーの人たちは前頭前皮質の異常に基づく、社会的な善悪の判断をする規範意識の欠落、またドーパミンの過剰分泌による情緒障害を示す、器質的精神疾患とされているところに、明らかな相違点があります。

皆さんの周りにも、やたら自分大好きで自己主張の強い方っていませんか?それでいて自分の意見が通らなかったらキレるっていう。ホント迷惑な話ですが、障害とまではいかなくても、自分の周りにこういう人いるよねっていうくらいだったら皆さんにも思い当たる節があるのではないかと思います。

ともあれ、自己主張・自己表現が叫ばれる昨今の日本ですが、その背後にはこうしたパーソナリティ障害が隠れ潜んでいることを思うと、それもいかがなものかなと思わずにはいられない今日この頃でございます。そのエネルギーを他者へ向けるのではなく、何か社会貢献になるようなものに向けられるといいんですがねぇ。

 

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