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「普通」のレールを歩めない!

自身の体験や経験などを淡々と綴る、あせんとのブログです。

同僚の発言について。

先日、仕事先の同僚が興味深い発言をしていました。

先に、ことのあらましを簡単に話すと、知的障害を患っている方がコンビニで万引きをして、警察の方を呼ぶ騒ぎがあったそうなのですが、結果として、知的障害を患っているからということを考慮して、厳重注意ということでその場は収まったそうです。

僕としては知的障害にも色々あると思うので「そういうこともあるんだな」くらいに留めていたのですが、その同僚は「知的障害だからといって、何でもやっていいわけではない」と、やや批判めいた意見を述べていたんですね。

これは彼の意見なので、どういう意図でそう口にしたのかとか、僕がどうこう言う筋合いは無いのですが、しかし、実際のところどうでしょう。犯罪を犯した人間が精神鑑定によって無罪放免となる事例が示すように、社会はある程度、障害者に優しくするように運営されているという側面があるのではないかと思うんですね。

加えて、知的障害というのは(その程度にもよりますが)、個人が行う社会生活に大なり小なり支障をきたすものであるから、障害認定をされているわけです。僕たち健常人(とされている人達)には理解が及ぶべくもない思考形態を彼ら/彼女らは形成しているわけで、自身たちと同列に扱おうとすること自体がナンセンスではないかと思ってしまうのは、僕に差別主義的な傾向があるからなのでしょうか。まぁ、どちら差別主義的かという話は、各々の解釈によっていかようにも変わってくるものかと思われるので、あえてここでその考察を述べるつもりはありません。

しかし、僕がここで主張しておきたいのは、その障害を患っている方はそうしたくてそうしたのか、はたまた別の理由があったのか、理由なんてなかったのか......。私達健常人と違う思考形態で社会生活を送る彼ら/彼女らの「障害」というフィルターを通している以上、その真意を、犯罪性を仔細に確かめることなど不可能であるかのように思える、ということです。犯罪者の精神鑑定が必要であることも、そこに理由があるのではないかと思います。

というか、「障害者だからといって、何でもやっていいわけではない」だなんて言葉がよく出てきたものだなと思います。それもひとつの答えではありましょうが、それでは彼は、知能が未発達の子供にも同じ言葉を投げかけるのでしょうか。子供だからといって、なにしてもいいわけではない、と。それこそナンセンスというものでしょう。残念ながら、彼からは理性による思考の痕跡が微塵も感じられませんね。僕たちが健全な社会生活を送るには知性が必要であることは言うまでもありませんが、だからこそ僕たちは知性の向上に努めるべきであり、社会もその方向に人々を導く必要があるのではないかと思います。

ま、まとめると、単に僕が同僚のバカな発言に違和感を感じたってだけの話なんですがね。

彼は人間みな平等だとでも思っているんでしょうかね。おぉ、平等主義者の怖いこと怖いこと。